シュールの効用

シュールの可能性を追求するブログ

2020-01-01から1年間の記事一覧

(76) タージ・マハルのルーツ

歴史の世界は多くの点で、誤解されている可能性がある。世界的に有名なタージ・マハルは、ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃マハルのため建設したと言われている。 この話は、「タージ・マハル」の著者であるP.N.オーク教授に…

(75) 大戦中のタージ・マハル

第二次世界大戦中、イギリス軍はインドのタージ・マハルが日独軍による爆撃に遭遇したら危険だと感じた。そこで彼らは1942年にタージのドームの上に竹の足場を配置した。上空から、敵のパイロットはそれを竹の大きな古い山と考え、したがって爆撃しないと考…

(74) インドの古習の悲劇

過去の戦争では、男性や子供たちは殺され、あるいは奴隷に売られた。一方、女性はレイプされて殺され、時には戦勝者の賞品となった。 インドの支配者層のカーストのラージプートは、彼らの女王と高貴な女性に、イスラム教の勢力によるそうした事態を防ぐため…

(73) 画家ローレンス・アルマ-タデマ

ローレンス・アルマ-タデマ(Lawrence Alma-Tadema, 1836 - 1912)は、英国ヴィクトリア朝時代の画家。古代ギリシア・ローマなどの歴史をテーマにした写実的な絵を残し、ハリウッドの歴史映画に多大な影響を与えた。オランダのドロンライプ生まれ。パリへ移…

(72) 広東十三行の火災

清朝時代の広州(こうしゅう)で、外国貿易を独占した商人団を広東(かんとん)十三行(じゅうさんこう)と呼んだ。1685年、第4代皇帝康熙(こうき)帝が海外貿易を許可すると、翌年には仲買商である広東十三行を指定し、商品の保管や関税の徴収に当たらせた…

(71) ダイムノーベルのミステリー

●「フレッド・フィアノット」の最初の冒険は、彼がエイボンアカデミーの学生だったときに起きた。 その後彼はエール大学に進み、それからウェストポイントに入学。そして最終的に世界中で冒険をした。 彼は犯罪を解決し、超自然的な謎を解き明かし、魔女、カ…

(70)ダイムノーベルの飛行機(pluck and luck)

●ジャック・ライトは、アメリカのジュール・ヴェルヌと言われたルイス・セナレンスが書いたSFのダイムノベルの人気シリーズのヒーロー。ジャックは1891年から1896年までに120の小説のオリジナルストーリーに登場した。彼は、1891年7月の少年スターライブラリ…

(69)ダイムノーベルの鉄道

「Pluck and Luck(度胸と運」は、フランク・タウジーが最初に出版したアメリカのダイムノベルであり、最も長く続いたダイムノベルでした。1898年1月から1929年3月まで1605号が発行された。32ページの雑誌は、最初の22号は半月刊で、その後は週刊。主に消防…

(68)奇妙な動物園

この好奇心あふれた動物園はロンドンの中心部ストランドの建物の2階にあったもので、図はロンドンの風刺画家トマス・ローランドソン(1756 – 1827)が1816年に描いた。イギリスでは1828年にロンドン動物園が開設されたので、ここはそれよりも早くからあった…

(67) マスター・アパートメンツ

ニューヨーク市マンハッタンにある27階建てのアールデコの超高層ビル、マスターアパートメンツは、1920年に画家のニコライ・レーリッヒ(1874-1947)と妻ヘレナ(1879‒1955)によって設立された芸術研究所、マスターインスティテュート・オブ・ユナイテッド…

(66) 輪廻の統計学

現在世界の人口は76億人である。これが80年後の2100年には、88億人になるという(英医学雑誌ランセット2020.7.14)。 さて現在生きている人は、80年後にはその大半が亡くなっているだろう。ではもし仏教やヒンズー教の教えにより、人類に輪廻があるとしたら、…

(65)フリーメーソン・ロッジの歴史

1717年イギリスにグランドロッジが設立された後、フリーメーソンの会員が、世界中の国々を訪れた。ここにある年代は、初期に作られた世界のロッジの場所。欧米の世界飛躍の一助に貢献か? (資料 雑誌「メーソンオブカリフォルニア」2017年5、6月号) ●ヨ…

(64)北京飯店の支配者

首都北京市の紫禁城の東に位置する高級ホテルで、現在も北京市を代表する高級ホテルのひとつである。1900年に2人のフランス人が開業した。1907年中仏実業銀行が買収し、5階建ての煉瓦造りの建物が建てられ、1915年に近代的ヨーロッパ風ホテルとして提供され…

(63) テュイルリー宮殿陥落

テュイルリー宮殿はセーヌ川の右岸のルーヴル宮殿とコンコルド広場の間にあった。1564年に建造され、ルイ14世が完成させた。ヴェルサイユ宮殿が作られてからは放置されていた。 1789年、パリ市民によるヴェルサイユ行進で、ルイ16世とマリ=アントワネット…

(62) ルイ16世の死

ルイ15世の孫のルイ16世(1754〜1793)は、20歳で即位。1770年にマリ=アントワネットと結婚。1791年6月21日、妻と国外逃亡を企てて失敗し、国民の信頼を失い王権が停止される。 1793年1月、各議員による国王裁判が行われ、全員一致で有罪となり、1月18日…

(61)床を突き破る十一面観音

大仏寺としても知られる「独楽寺」は、中国天津市薊州(けいしゅう)区にあり、中国に残っている遼代に皇族が保護した三大寺院(奉国寺、華厳寺)の1つである。寺院の建築は唐代の貞観10年(西暦636年)にさかのぼる。 寺院内で最も古い2つの建物、山門と観…

(60) ノルマンディ・アパートメント

上海の商業街、淮海中路(わいかいちゅうろ)にある「武康大楼(ウーカンダロウ)」は、もとの名は「诺曼底公寓」(ノルマンディ・アパートメント)と呼ばれ、1924年フランス国際貯蓄協会が建てたベランダ・スタイルのアパートです。フランスのルネッサンス様…

(59)魂呼び

魂呼(たまよ)びの儀式は、中国の古代から伝わる、死者の召喚儀礼です。 魂の召喚士に扮した男が、死者の着物を持って家の屋根に登っていく。屋上で死者の衣服を振り、死者の魂に「戻ってきて!」と呼びかけます。 そして再び呼びかけます。 彼は3回目の試み…

(58) 天使に守られるイエス

フランスの画家ジェームズ・ティソ(1836- 1902)の2枚の絵。ティソはフランス西部ナントに生まれ、パリで絵を学び、1859年初入選する。イギリスのロンドンで10年ほど滞在し多くの絵を描く。パリに戻って風俗画『パリの女』で流行画家となる。1885年、サン…

(57)歌川国長のピラミッド

これは浮世絵師、歌川国長の描いたピラミッドで、1820年から25年頃のもの。国長は歌川豊国の門人で、生没年は不詳である。 絵の題材はオランダ文化の影響か?手前は縦長のピラミッド、その頂上は雲の中に隠れ、3人のオランダ人がその足下に立っており、遠景…

(56) オリンピアのゼウス像

『オリンピアのゼウス像』は、パルテノン神殿の建設の監督で彫刻家のペイディアスにより、紀元前435年に建造されたゼウスの彫像。古代オリンピックにおける奉納競技の本尊とされていた。 紀元前5世紀頃、オリンピアにゼウス神殿が建造され、ゼウス像はこの神…

(55 )ヘラクレスのヒドラ退治

ギリシャ神話によると、ヘラクレスはゼウスの神とミケーネ王妃アルクメネーとの間に生まれた。ゼウスはアルクメネーの夫に姿を変え、彼女の元を訪れたのだ。これを知ったゼウスの妃ヘラは、怒りと嫉妬で、「もし男子が生まれた時は、決して許さない」として…

(54)地獄図の祈祷書

図は「ヨハネの黙示録」にある、神と悪魔の戦いを描いたもの。 獣は聖なるものすべてを冒涜し、聖人に戦争を仕掛け、人類を堕落させると、最初の獣と同じくらい強力な2番目の獣が地球から現れる。 この獣は、「子羊のような」2つの角を持ち、「偽預言者」の…

(53) ヨハネの首

西暦29年、へロデ王は自分の誕生日の祝いに、高官や将校やガリラヤの人たちを招いて宴会を催した。真夜中に近くに、へロデの娘が入ってきてダンスを舞い、王(へロデ)は、娘に『ほしいものはなんでも言いなさい』と言った。そこでサロメは「バプテスマのヨハ…

(52) 阿房宮の意味

阿房宮は、秦帝国が建てた宮殿。秦の首都であった咸阳市から南東15キロ、西安市西部郊外15キロに位置し、秦始皇35年(前212年)に建設が始められた。 阿房はもともと宮殿の前殿の名前だったが、始皇帝(前259~210)は宮殿全体が完成した後、「名前を変更して…

(51) 33階級入門儀礼

この図はフリーメーソンの最高位33階級の入門儀礼を描いたもの。出典は(HISTOIRE PITTORESQUE DE LA FRANC-MASONNERIE. 1843) ホールの中央、 洋紅色のカーペットで覆われた四角い台座の上に、開いた聖書と剣がある。台座の横に人骨が立っている。左手に…

(50) 世界一、シュールなテキスト

世界一神秘敵な文書と呼ばれる「ヴォイニツチ手稿 Voynich Manuscript 」は、中世初期の地中海中の話されたラテン語であるプロトロマンス語で書れている可能性があるという。「ヴォイニツチ手稿」は、1912年に入手したポーランド系アメリカ人の古物商デイラ…

(49) 破壊されたパルテノン神殿

ギリシャのパルテノン神殿は、紀元前438年に作られた アテネの女神を祀る神殿であった。それが6世紀にはキリスト教に取り込まれ、キリスト教の教会に改造された。女神アテネの代わりにパナギア(聖母マリア)がまつられた。 1204年から1458年までパルテノン…

(48)謎めいた作品

ヤン・ファン・ケッセル長老(1626ー1679)は、花の画家としてアントワープのギルドに入会した。彼は植物や昆虫、そして動物などを、図鑑のように細部まで丁寧に描く画家で、その作品はヨーロッパ全体で人気があり、豊かな生活を送った。しかし1678年に妻が…

(47) シュールな鳥葬 

河口 慧海(えかい 1866-1945)は、日本人で初めてチベットに入った人物として知られている。その模様は彼の『チベット旅行記』に詳しい。なかに「鳥葬」の場面があるが、最近はチベットにも近代的な火葬場が出来、鳥葬も取材が禁止されているという。 「チ…