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(52) 阿房宮の意味

 

阿房宮は、秦帝国が建てた宮殿。秦の首都であった咸阳市から南東15キロ、西安市西部郊外15キロに位置し、秦始皇35年(前212年)に建設が始められた。

阿房はもともと宮殿の前殿の名前だったが、始皇帝(前259~210)は宮殿全体が完成した後、「名前を変更して付ける」ことを計画していた。 宮殿は、毎日何十万人もの勤勉な労働者が建設工事に参加したが、秦王朝の崩壊(前207) まで宮殿は完成しなかった。この宮殿が「阿房」と呼ばれる理由は、歴史的記録が異なり、意見も異なる。主に次の説がある。

一説:秦王嬴政(えいせい始皇帝の名)は、邯郸の街で邯郸の女性阿房と恋に落ちた。始皇帝は世界統一後、彼女を女王にしたかったが、彼女は趙の女性だったため、大臣から反対された。嬴政を当惑させないため阿房は首を吊った。 秦皇帝は深く愛した女性を記念するために、阿房宮と名付けた。

2説:宮殿の敷地が咸陽に近いことから、阿房の名前が付けられた。 「阿とは近いという意味、咸陽に近いので阿房と呼ばれる。」

(資料 中国民族建築網「古建中国」(2018.1.16)

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阿房宮の想像図