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222 稀有書 98 コロンブスとユダヤ人

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コロンブスと彼の乗組員( 写真GETTY)

    著書『クリストファー・コロンブスと、探検へのスペインとポルトガルのユダヤ人の参加』 M.カイザーリンク(1894)
 スペイン王国は1492年1月、イスラーム教国ナスル朝の拠点であるグラナダを陥落させ、イスラーム勢力はイベリア半島から撤退した。これにより、ムスリムだけではなくユダヤ教徒もスペインから追放された。
 1492年8月2日、30万人のユダヤ人はスペインを離れ、アフリカ、トルコ、ポルトガル、イタリア、フランスに定住した。その記憶に残る日、コロンブスの艦隊は西回りでインドに向けて出発した。そのなかにユダヤ人が多く乗っていてもおかしくはない。コロンブス自身ユダヤ人ダッタという説があるくらいだ。しかしそれは当然秘密にされた。以下はカイザーリンクの書の抜粋。
●コロンブスの艦隊のユダヤ人。
 1492年8月2日、スペイン系ユダヤ人は放浪を始め、翌8月3日金曜日、コロンブスは3隻の船、サンタマリア号、ピンタ号、ニーナ号を乗せて、インドへの海路を目指した。彼は最初の航海に120人以下の男性、ほとんどすべてのカスティーリャ人とアラゴン人が同行した。彼らの多くはパロスからの者で、グアダラハラ、アビラ、セゴビア、カセレス、カストロヘリス、レデスマ、ビラー、タラベラからの者もいた。これらすべての都市には大小のユダヤ人居住地があった。(89p)
●キリスト教に改宗した者は許された。
 コロンブスの艦隊の下に、ユダヤ人の家系がいたのだろうか? 彼の危険な航海に同行することをいとわない男性を見つけることは容易ではなかった。
 犯罪で有罪となった人でさえ、新兵に登録することを条件に刑務所から釈放された。追放の影響下にあり、迫害され、家を失ったユダヤ人が、航海に参加するのこばむ理由があっただろうか? 名前が伝わった探検家の仲間の中には、完全なリストが失われている。ユダヤ人の家系の男が何人かいた。たとえば、ムルシアの知事の下に地位を占め、コロンブスが出航する直前に洗礼を受けたユダヤ人ルイス・デ・トーレス。彼はヘブライ語、カルデア語、そしてアラビア語を理解したので、コロンバスは彼を通訳として雇っている。
    資料 CHRISTOPHER COLUMBUS AND THE PARTICIPATION OF THE JEWS IN THE SPANISH AND PORTUGUESE DISCOVERIES BY DR. M. KAYSERLING, LONGMANS, GREEN, AND CO. 1894