シュールの効用

シュールの可能性を追求するブログ

2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

(48)謎めいた作品

ヤン・ファン・ケッセル長老(1626ー1679)は、花の画家としてアントワープのギルドに入会した。彼は植物や昆虫、そして動物などを、図鑑のように細部まで丁寧に描く画家で、その作品はヨーロッパ全体で人気があり、豊かな生活を送った。しかし1678年に妻が…

(47) シュールな鳥葬 

河口 慧海(えかい 1866-1945)は、日本人で初めてチベットに入った人物として知られている。その模様は彼の『チベット旅行記』に詳しい。なかに「鳥葬」の場面があるが、最近はチベットにも近代的な火葬場が出来、鳥葬も取材が禁止されているという。 「チ…

(46)仏陀の歯を祀る

仏陀(釈迦)の歯は、スリランカ中部州キャンディに位置するマーリガーワ寺院(佛歯寺)に納められている。 仏陀は死後火葬にされ、その遺骨や歯はインド各地に分骨された。 年代記の『チューラワンサ』(37章)によれば、スリランカにはスリー・メーガワン…

(45) ルクソールのオベリスクをコンコルド広場に

3000年前のオベリスクは、もともとはルクソール神殿の前にあった。その一つが ルクソールから輸送され、1833年12月21日にパリに到着した。それから3年後の1836年10月25日、ルイフィリペ王によってコンコルド広場の中心に移動された。 花崗岩のオベリスクは、…

(44)インドで牛が神聖な訳

ヒンズー教徒は、牛の尻尾が死の川を越えて彼らを運ぶことができると信じている。 人が死んだら、多くのヒンドゥー教徒が牛への愛を示すためにできることをする。彼らは農家へ行って若い雄牛を買う。それから聖職者を呼び、死者の名において動物に聖水を振り…

(43) 犯罪小説の始まり

時代の世相や風俗を写しだす犯罪小説。その数は膨大で忘れられている名作も多い。スティーブン・ナイト「犯罪フィクション1800年 - 2000年」(2004)の犯罪小説の年表を参考にすると、1773年に発行された「ニューゲート・カレンダー」が、初めて犯罪事件を網羅…

(42)ニューヨークの4つの橋

1910年発行のニューヨーク案内小冊子「New York - the metropolis of America」にニューヨーク市の4つの橋が紹介されている。以下はその4橋のイラスト。 1、ブルックリン橋=ニューヨーク市のイースト川をまたぎ、マンハッタンとブルックリンを結ぶ橋。18…

(41)エンパイア・ビルのシュール

1931年に完成した当時は世界最も高い建物(381m)であったニューヨークのエンパイアステート・ビルディング。かってここは飛び降り自殺の名所であった。米週刊誌『ライフ』(1947.8.18)によると、1947年の6ヵ月間に、ビルの86階(320m)から4人が投身自殺した…

(40) 富士山のシュール

富士山は日本を象徴する山として世界でも知られている。しかしかっては、その姿は想像の域を出なかった。以下の図はその想像と実像の違いを示したものである。イギリスの旅行家イザベラ・バード(1831-1904)は、ジョン・キャンベルの『私の周遊記』(My Circ…

(39) 最もシュールな列車事故写真

乗客131人を乗せたグランビル・パリ急行の脱線事故は、1895年10月22日午後4時に発生した。列車はモンパルナス駅の終点の車止めを乗り越え、駅のコンコースを通過し駅の壁に衝突した。そして機関車は、車首を下に向けたままレンヌ広場に落下した。この事故で…

( 38 ) パンテオンの洪水

水の都はベニスは水にあふれているが、永遠の都市ローマでは毎年テヴェレの水かさが増え、規模の小さいな洪水は5〜6年に1度、大きな洪水は28年ごとに起きていた。こうした研究結果が、グレゴリー・アルドレーテ著『古代ローマのテヴェレ川の氾濫』Floods of…

(37) ロシア遠征図のシュール

日本人は1853年にペリー提督に会う前から、ナポレオン(1769-1821)のことを知っており、それを絵にしたのがこれである。作者は未詳であるが、ナポレオンを描いた場面は、ロシア遠征の他、ジョゼフィーヌとの結婚の場面、セントヘレナ島に幽閉されている場面、…

(36) オカルティストを超えた存在

伝説的な人物で、最高位のオカルティストと言われるサンジェルマン伯爵(生死不詳)は、定期的にルイ15世(1710 - 1774)とその公妾ポンパドゥール夫人 (1721 - 1764年)の夕食に招待された。ベルサイユであろうとサロンであろうと、彼は聴衆を魅了した。彼…

(35) 最古の職業の一つ

以下の2枚のスケッチは、ジョン・トーマス・スミス著「バガボンディアーナ。またはロンドンの通りを彷徨する物乞いの逸話」(1874年)全30枚のなかから取った。そこには犬をつれた人(7枚)、箒を持った人(6枚)が多かった。 作者が言うように、物乞い…

(34) ヒトラーの2枚の絵

米週刊誌「ライフ」1939年10月30日号にヒトラーの作品である絵が5枚掲載されている。その一枚は軍艦を描いた「戦艦ウィーン」。もう一枚は「ローマの廃墟」を描いたもの。彼の作品には、右下にヒトラーのサインがある。彼は画家を青年時代に画家を志したこ…

(33)ティツィアーノのラオコーン

下の版画はイタリア人画家ティツィアーノ(1488-1576) の絵を、ニッコロ・ボルドリニが木版画に制作した作品。 ティツィアーノはラオコーンの彫刻を、人間ではなくサルを描くことを選択し、ローマの芸術家の学校を嘲笑した。現在、この木版画は版画のコレクシ…