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193 稀有書 69 公開死刑を見たゴーガン

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フランスで最後の公開処刑(1939年ベルサイユの刑務所の外)

 「ゴーガンの私記」は、彼(1848 - 1903)の死の3ヶ月前に書き上げられた。この本には彼の芸術論や哲学がのべられているが、やはり彼の仲間で互いに影響を与え合ったゴッホ(1853 - 1890)の耳切事件の顛末が印象に残る(39頁)。以下は彼が見学した犯罪者の公開死刑のシーンである。

●ロケット広場
 午前2時半に私たちはラ・ロケット広場(パリ)に立って足踏をやっていた。というのは、そのまっくらな夜中に、死刑執行を、あるいはまた少くとも( 時間つぶしの役には立とうが )ギロチンが運ばれてきて据えつけられるのを待っているのは、非常に寒かったからである。ギロチンのそばの小さな特別席にありつく望みは、とうていなかった。何しろ夜明をまちながらお互いにひしめきあって、もう身動きもならぬ人だかりだったからである。
●死刑執行の準備
 ついにその時刻が迫ってきた。日の出を知らすかすかな明るさで、少しばかり広場の様子がわかった。ギロチンの周囲には、兵士たちと警官が大きな半円陣をつくっている。ギロチンの一方には、大型荷馬車と枢車がとまっていて、他の一方が特別席になっていた。中央のギロチンの前には、5人の乗馬の憲兵がいた。
 すると突然、警官は立っているわれわれ全部を円陣の外側へ強行に迫追払い始めた。
 まるで、いやほとんど見えない…
 監獄の門がひらかれて、衛兵が出てきた。憲兵たちがサーベルを抜くと、一声、号令でもかけられたように忽ち異常な静けさに戻った。多数が帽子をとった。特別警察官と死刑執行人は、黒い服をきていた。死刑執行人の助手たちは、青い作業服をきていた。私は、なおも見ようとした。そして私は、何かをしようと思うと、頗る執念深くなるのでそれで私は、広場を横切って突進し、一人の憲兵の両脚の長靴の間をすりぬけて中央に達した。誰ひとり動こうともしなかった。
●死刑執行
 ごく小柄であるが頑丈な姿をしたこの殺人犯は、美しい誇らしげな顔をしていた。彼は短く刈りこまれた髪と、粗末な麻のシャツという浅ましい恰好なのに、堂々としてみえた。
 板がゆれたので、頸でなく鼻にあたった。囚人が苦痛にもがくと、2人の青い作業衣をきた男が手荒く肩を押して、頚を適当な位置においた。ややあって、刀がその機能を果した。
 私は箱の中から拾いあげられた首をみようとしてもがいたが、三度も押し返された。彼らは首にぶつかけるために、数ヤード離れたところにある手桶の水をとりにいった。なぜそのために箱のすぐ下のところに桶を用意しておかなかったのだろう、と語る人もいた。…社会にこんな満足を与えてくれるようなすばらしい光景もあるのだ。まわりから「プラドオ万歳!」という叫び声がきこえた。(223p)
出典「美わしき野性・ゴーガンの私記」新潮社(1953)