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109 ゴッホ兄弟の死

   日本でもその特徴的な絵で有名なヴァン・ゴッホ(1853 - 1890)は、悲劇の芸術家の典型であった。
   ●ヴァン・ゴッホの死  
   1888年10月に、 画家ゴーギャンとの共同生活が始まった。ゴーガンとのあいだでの芸術論争の後、あの有名なエピソードが起きた。 彼は片方の耳を切り落した。そして新聞紙で包んだそれを、地元の売春宿に持ち込んだ。すぐにゴッホはアルル市立病院に収容された。
 翌年退院したゴッホは、医師の肖像や、耳に包帯をした自画像を描いている。しかし2月になって幻覚症状をきたし、町の人をこわがらせたため、精神病院に送られた。1890年7月の午後、ゴッホはオーヴェルの牧草地に行って、ピストルで自分を撃った。7月29日午前1時半に死んだ(37歳)。

    ●関係者の死  

   弟のテオ(1857- 1891)がなぜ、彼の兄の要求に忍耐強く寛容だったのか。ヴィンセントが死んだ3日後、テオは神経衰弱にあった。 その年の10月までに、彼の妻はテオを「興奮性の深刻な狂気」として精神病院に入れた。 兄の死の半年後の1891年1月、彼は33才で梅毒の最終段階と診断されて死亡。 ヴィンセントがかつて愛していた売春婦シーンは、1904年に川に身投げした。 ヴィンセントと結婚することに同意したマーゴット・ベーグマン(1841ー1907)、彼女の家族がそれを禁じたとして、過量のストリキニーネを飲んだ。ゴッホの看病もあり一命は取り留めている。 テオの曾孫(テオ・ヴァン・ゴッホ 1957 - 2004)は、急進的なオランダ人の映画製作者になった。彼は2004年に、彼の反イスラム的意見のために、アムステルダムの路上で銃により殺害された(47歳)。出典 マイケル・ラルゴ著「天才とヘロイン」(2010)より

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写真 ゴッホの弟のテオ