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100 トロッキーの死

    レフ・トロツキー(1879-1940)は、1917年のロシア十月革命における指導者の1人で、レーニンに次ぐ中央委員会の一員であった。1924年のレーニンの死後、トロツキーは中央委員会の多数派と対立。1927年には政府・党の全役職を解任され、1929年にはソビエト連邦から国外追放される。
  1936年、ソ連の圧力でノルウェーから国外退去を命じられたトロツキーは、メキシコに居を移した。1940年8月20日、ソ連内務人民委員部の部員ラモン・メルカデル(1914 - 1978)によって、ピッケルで後頭部を打ち砕かれ、翌日収容先の病院で死亡した。彼の妻は、彼が攻撃された瞬間から彼が死ぬまで決して彼の側を離れなかった。(IN THE CROSSHAIRS by Stephen J. Spignesi 2003 )

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レフ・トロツキーと妻ナタリー・セドフ(1937)(elconfidencial.com 2020.8.20)