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110 故宮はなぜ「紫禁城」と呼ぶのか?

明朝と清朝時代の皇居は、現在の「故宮(Gùgōng)/北京故宮博物館」ではなく、もともと「紫禁城 (Zǐjìnchéng)」と呼ばれていた。 1924年、馮玉祥(ふうぎょくしょう)が「北京政変」を開始し、溥儀(ふぎ1906-1967)を「紫禁城」から追放した後、「北京故宮博物館」が1925年10月10日に設立された。「紫禁城」はもはや皇帝の住む場所ではなくなり、世界は紫禁城を「旧宮殿」を意味する「故宮」と呼ぶことになった。
 「紫禁城」の名前の由来は空の星から来ている。古代の天文学者は、恒星を三垣に分け、28の宿と多くの星座に分割した。 その中で、三垣は「太微垣」、「紫微垣(Zǐwēiyuán)」そして「天位垣」の総称で、合計47個の星を持っている。このうち、「紫微垣」は3つの垣の中央にあるため、「中垣」と呼ばれ、北の空の中央にあるため、「中宮」とも呼ばれる。 「紫微正中」という言葉もこれから来ている。
 古代中国人は空を支配した玉皇大帝が、空の真中の天宮に住むと信じ、「紫微垣」が長い間天空の中央にいることを確認した。したがって、天の宮殿は「紫宮(紫の宮殿)」と呼ばれ、領土を担当する地上の皇帝は「天の子」と見なしているため、天子が住む場所は北京の中心に建つ「紫宮(紫の宮殿)」という名前となった。
 では、「紫宮」が「紫禁城」になったのは、皇帝が住む皇居は、一般の人々が自由に出入り出来ない「禁断のゾーン」であるため、「紫禁城(禁断の都)」となった。(資料 北京故宫博物院網)

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明代の紫禁城画。(図片来源:維基百科)