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182 稀有書 58 アルカポネの逮捕

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「FBI 百年史 1908-2008」表紙

 2008年7月26日、FBIは、アメリカの犯罪対策および国家安全保障局として100周年を祝った。FBI 百周年を祝う書籍が米国司法省FBIが出版されている。以下はそのなかの、FBIが扱った事件の一つ。カポネの逮捕である。
●アル・カポネを追つめる
 アメリカの「1920年代」は、ギャンブル、売春、密売、賄賂、麻薬密売、強盗、殺人などが日常茶飯事だった。法執行機関も、彼には触れることができなかった。
 初期のFBIも、カポネとの戦いに参加した。しかし訴訟を起こすには連邦犯罪が必要であり、それを裏付ける証拠が必要だった。
 カポネが悪名高い1929年2月14日「聖バレンタインデー大虐殺」で、7人のライバルの殺人を命じたと噂されていたときも、関与できなかった。なぜなら、殺人は連邦犯罪ではなかったのである。結局、この虐殺の罪で誰も逮捕されなかった。
 2月27日、カポネはフロリダ州マイアミ近くの冬の家で召喚され、禁止違反を含む事件で、3月12日シカゴの連邦大陪審で証人として出頭命令を受けた。カポネはそれをできないたと言った。彼は気管支肺炎にかかり、旅行できないとする医師の診断書を持っていたのだ。
 シカゴの連邦検事が、FBIにカポネが病気のレベルを尋ねると、捜査員はフロリダに飛び、そこでカポネが競馬場に行ったり、バハマに旅行したり、地元の検察官から質問を受けたりして、彼の健康状態は良好だったことを調べた。
●逮捕
 1929年3月27日、カポネはシカゴで法廷侮辱罪で起訴され、フロリダで逮捕された。彼は公債で釈放されたが、2か月も経たないうちに、カポネはフィラデルフィアで逮捕された。隠された武器を運んだとして地元の警察によって、1年間の禁固刑を受けた。
 彼が1931年に釈放されたとき、カポネは法廷侮辱罪で裁判にかけられ、有罪判決を受けた。連邦判事は彼に6か月の禁固刑を言い渡した。
その間、連邦財務省の捜査員は、カポネが所得税違反の証拠を集めた。カポネは有罪判決を受け、1931年10月24日に懲役11年の刑を言い渡された。彼がアルカトラズを出たとき、病気で犯罪生活を続けられない状態だった。そして彼は1947年に亡くなった。
資料 THE FBI A Centennial History, 1908-2008,U.S. Government Printing Office.2008