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167 稀有書  43 ヒトラー日記 

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ヒトラー日記を紹介した週刊誌『シュテルン』( 1983.4.28)

 1983年4月28日、ドイツの週刊誌『シュテルン』が、「ヒトラー日記」の発見を記事にした。 この日記は、ヒトラーの1932年から、彼が自殺する数日前の1945年4月30日までが含まれた。所有者はドイツのコレクター、コンラート・クジョーで、アドルフ・ヒットラーの秘密の日記を62册所有していると主張した。彼はそれを1945年4月21日に、ドレスデンの近くので墜落したナチSS機の残骸から発見した農民が所有していたという。

●偽造者の正体

 クジョーは、達者な偽造者で古物のディーラだった。彼は収集物を売ったが、偽物を販売した犯罪者でもあった。彼はヒトラーが描いたという絵や、ヒトラーの『我が闘争』の手書きの原稿を創り出し、それを知識のないコレクターに売っていた。

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ヒトラーの日記を見せるハイデマン(写真『シュテルン』より)

●販売の経緯

 ドイツの雑誌「シュテルン」のリポータであったゲールト・ハイデマンは借金があった。彼は、クジョーに日記を『シュテルン』に売るよう主張した。しかしクジョーは、詐欺が発覚を恐れてしぶっていた。『シュテルン』を運営するグルーナー・ウント・ヤール社は、20巻のヒトラーの日記に、500万ドイツマルクを提供する許可をハイデマンに与えた。 1981年1月28日、ハイデマンは日記の頭金を入れたスーツケースをクジョーに渡した。3週後の2月17日に、クジョーは、最初の3巻を届けた。 『シュテルン』は、連載用に『サンデー・タイムズ』を含む他の出版物に日記を提供し始めた。
●日記の公開
 『シュテルン』は、1983年4月22日に記者会見を開き、極めて貴重な日記の所有を発表した。 2日後に、『サンデー・タイムズ』は日記のコピーを発表した。出版前に日記を調べさせなかったため、『シュテルン』は深刻な状況に陥った。日記抜粋の公表と同時に、一部の専門家はその内容から矛盾を見つけていた。
●偽造発覚
 歴史家が内容を調査すると、発見された日記にはほとんど新情報が示されていなかった。そして専門家は、日記に使われたインクと装丁が戦後のものだったことを認めた。
 『シュテルン』の出版者はハイデマンとクジョーを訴えた。判決で、クジョーとハイデマンは4年半の刑を宣告された。そして『シュテルン』の名声はひどく傷ついた。 出典 Carl L. Bankston III ed. Modern-Scandals 1904-2008 by Salem Press. (2009)