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206 稀有書 82 ローマ人盛衰盛衰原因論

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モンテスキュー(1689 - 1755)

 フランスの哲学者モンテスキューは、『法の精神』(1748)で、その博学とその分類能力の技倆を示した。彼が1734年に書いた『ローマ人盛衰原因論』は、読みやすいうえ、その表現の簡潔さにも注目すべきものがある。以下はその一例。
□どうしてローマ人は栄えることができたか
 不断の経験のおかげで欧洲では百万人の臣民をもつ君主でも、一万以上の軍勢をもっていようとすれば必ずその身を滅ぼすことが分っていた。だから軍隊をもっている大きな国々以外には国がないわけである。
 古代の国々ではそれとは違ってはいた。というのは、兵隊とその残りの人民との比率を現代では100対1にするのが精いっぱいだが、古代では楽に8対1くらいにすることができたからである。
●占領地の分配
 古代諸国家の建国者たちは、土地を平等に分配した。そうしてこそ始めて人民の力は強化された。すなわち、秩序立った1つの社会ができたのだし、またそうしてこそ、各人は均しなみに頗る大きな利害刷係をもつため、その祖国をよく防衛する軍隊ができたのである。
●人口のもつ力
 国王追放後に行はれたローマの人口調査や 、アテナイで行ったそれによると、双方とも殆んど同じ住民数を示していた。ローマには44万、アテナイには43万1千の住民がいた。しかしローマの人口数はその制度が完備したときに低減しており、アテナイのそれはこの都が全く衰えてしまったときに減っている。丁年に達した市民の数は、ローマではその住民の4分の1を占め、アテナイでは20分の1より稍々少い数だったことが分った。
 そこでローマの闘力はアテナイのそれに比べ、さまざまな時期を通じて、ほぼ4分の1に対する20分の1、すなはち5倍だけ大きかったわけである。(24p)
 出典 モンテスキュー『ローマ人盛衰原因論』大岩誠訳 岩波書店 1941年