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201 稀有書 77 雄鶏が塔の上にある訳

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「家畜系統史」の作者コンラット・ケラー

 「家畜系統史」の作者コンラット・ケラー(1848-1930)はスイスの動物学者。彼は1874年にイエナのエルンスト・ヘッケルの下でタコの博士号を取得した。後の研究のために、1882年にエジプトとヌビア、1886年にマダガスカルとマスカレン山脈を訪れた。1898年に彼はチューリッヒの特別動物学の教授に昇進した。以下は「家畜系統史」10章の家鶏の系統史からの引用です。

■鶏の系統史
 ユダヤ人は旧約聖書時代には鶏を全然知らなかった様に見える。ファラオ時代にはナイル谷にも全くいなかった。メソポタミアでは家鶏は西紀前、とにかく紀元前6又は7世紀に始めて現われている。恐らくペルシャ人がそれを伝えたものであらう。インドではそれより遥かに古くから土着している。支那へは紀元前1400年頃に西方から移入されたと言う事である。従ってその歴史上の出現はアジアの南または東南にある馴致発生地を暗示している。
●鶏は偶像崇拝の対象
 原始時代には鶏は偶像崇拝の観念と結びつけられていた様に見える。ツェンダ族(古代のペルシャ民族)に於ては雄鶏は、夜の悪魔を追い払うと云う警戒の象徴として尊重せられた。ペルシャへの進出に際して、警戒心の強い雄鶏の崇界概念は高められ、神聖なものとみなされ、特に死体置場所に見かけられた。火、犬及び雄鶏はペルシャ人の守り神の偶像であった。ペルシャ人は自国の軍の遠征の途上、鶏を分布した。これは紀元前6世紀に小アジアを経てギリシャに到達した。
●鳥占い
 ギリシャではホーマー時代には未だこれは知られていなかった。「ペルシャの鳥」と云うギリシャの名は明らかにその由来を示している。ローマとギリシャとの盛んな交通に際して、これはたちまちローマ人の手に渡り、ローマ人はこの神霊をもった烏を「烏占ひ」として過度に尊重した。誰れも責任を負う事を欲せない様な重大な事件の場合には、「鶏の番人」は鶏を験しにかけた旦奇妙なことには、プリニウスでさえ最も重要な国政が鶏によって左右される、と言うことを発見している。
●塔の上の雄鶏
 アルプスの北部では鶏は西紀の略々初めに現われている。その遺骨はヱルヴェチャ=ローマの植民地ヴィンドニッサに存在していた事が証明せられた。崇拝の意義はゲルマン民族に於ても全く抜け切れなかった。雄鶏の像は教会の塔の十字架の上に備えつけられている。けだしこれは十字架よりは更に有効に悪魔を追い払うからである。(166p)
 出典 コンラット・ケルレル著「家畜系統史」加茂儀一訳 1935 岩波書店(漢字地名をローマ字に直しました)。参照 Archives for Agricultural History