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195 稀有書 71 古代ローマの来世観

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ミトラ神の図像の前に立つフランツ・キュモン

 輪廻転生思想は、東洋だけでなく古代西洋のなかにも滔々と流れていた。もちろんその思想は時代や民族、あるいは哲学者によってたえず整理変貌を遂げている。ベルギーの宗教史家フランツ・キュモン(1868-1947)は、、古代ローマ人の来世観・他界観を、原始時代からギオリエントまでたどり、その思想の変転を解き明かしている。
 本書は1921年のイェール大学での連続講義が元になっている。輪廻の歴史を知ることは、宗教史を知ることにもなる。以下は本書からの抜粋。

●原始の輪廻思想からギリシャ・ローマ時代の輪廻思想へ
 誕生という事実そのものが霊魂にとっては苦痛である。なぜなら、霊魂は天界にある故郷から切り離され、汚れた厄介な世界に投げ込まれたからである。したがって、霊魂を罰するには、それをわざわざ動物の体に宿らせたりすることは必要でない。実際、何人かの思想家がこの種の輪廻を拒否している。彼らの言うところでは、理性的な霊が理性を欠く動物の中に住むことはできない。それゆえ、輪廻はもっぱら人から人へ、獣から獣へと生じる。これはポルピュリオスやイアンブリコスによって擁護された見解である。彼らはこの理論に矛盾するプラトンの原典をとり繕うために、プラトンは比喩的に語っているのであり、彼の言う「驢馬」、「狼」、「ライオン」は、無知や残忍さの点でこれらの獣に似ている人物を意味しているのだと主張している。
 このような輪廻説は原始時代の信仰に起源を持つものとは遠く隔たりつつあった。「生成の周期」はもはや大地に住むあらゆる種類の生き物を経て循環する生命の流れとは考えられず、天界から地上へ、地上から天界へと交互に移る心的実体の降下と上昇と考えられた。
 ウエルギリウスが「アエネイス」の中で亡霊たちを示す時に暗示しているのは、このような教説である。彼らはエリュシオンの野という遠い場所に集うが、千年が経つと、ある神が、レテ川に群れを成して到来するよう、そこで忘却という水を飲むよう命じる。すると、「彼らは再び肉体に庚りたいと思い始める」。(「地獄の責苦と輪廻」小川英雄訳 227p)
出典 フランツ・キユモン著「古代ローマの来世観」平凡社(1996)