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143 稀有書 19 南北戦争での救急活動

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戦場での救急馬車での救護訓練

 アメリカの南北戦争(1861-65)のなかで、4万6000人近くの死傷者を出したゲティスバーグの戦い(1863年7月1日ー3日)では、軍の救急組織が無傷だったため、7月4日の早朝での彼らの活躍はめざましかった。
 戦いが終わり、交戦で倒れた数多くの負傷者のうち、地上に見捨てられた者はなかった。軍の救急組織は、徐々に発展しており、その救急活動のシステムが大統領に承認されたのは1864年3月11日であった。
 救急車には二輪と四輪があったが、二輪車は揺れて安定性が悪いことからふさわしくないとすぐにわかった。
 四輪のタイプではいろいろな形式が生まれた。これらの四輪の救急車の大きな誤算は、重量超過にあった。あらゆる大きな戦いの後、利用できる供給ワゴンが救急車に用いられた。これらはクッションがなかったが、床に干し草を敷いて負傷者用に改善された。
 軍の医療輸送サービスは、最後には次のように機能した。 連隊の軍医官は、できるだけ最前線に近い駅に待機し、前線と野戦病院からの素早いアクセスを確保したのであった。
  資料「フランシス・ミラー篇/写真史・南北戦争第7巻 刑務所と病院篇」リヴューオブリビュー社 1911年(FRANCIS MILLER /Photographic History of the Civil-War Vol.7 Prisons and Hospitals. THE REVIEW OF REVIEWS Co.