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133 稀有書9 ハンブルク大空襲

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 1943年7月以降に、焼夷弾で破壊された地域撮影(幅0.5 km幅7 kmのセクション)これらの5階建ての建物は壁だけが残った。
資料 (ゲルマー・ルドルフ編「航空写真の証拠」第二次世界大戦の大量殺戮現場の写真 キャッスルヒル出版社 2020 ) 本書はユダヤ人収容所の航空写真が多く収録されている。

 ドイツの大港湾都市ハンブルクは第二次大戦でイギリス空軍とアメリカ陸軍航空軍爆撃にあった。1943年7月の空襲のうちの1回で火災旋風が発生し、これが何万人もの民間人の犠牲者を出した。
 ハンブルクの戦い(ゴモラ作戦)は1943年7月末に始まる一連のハンブルク空襲作戦で、当時の航空戦史上もっとも被害を出した。
7月28日の午前1時には739機の爆撃機がハンブルクを爆撃した。この爆撃が「火災旋風」を引き起こし、被害が拡大し、炎を伴った竜巻が発生して、市街は21km²に渡って焼け落ち、街路のアスファルトが発火して防空壕へ避難した者も大勢死亡した。この作戦で民間人4万人がこの空襲で死亡した。ハンブルク上空に到達した爆撃機は2630機で、約9000トンの爆弾を投下、約31万5000戸の家屋が破壊された。
 2年後の1945年2月13日から15日にかけて、連合国軍によるドレスデンへの無差別爆撃では、街の85%が破壊され、死者数は2万5000人を出した。