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140稀有書 16 名古屋空爆

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アメリカ戦略爆撃調査『名古屋市爆撃の効果』1947.6 原本表紙

 アメリカ戦略爆撃調査『名古屋市爆撃の効果』の翻訳が、名古屋市鶴舞図書館編集で1964年3月に発行されている。この報告は1945年8月にトルーマン大統領の命令によって調査されたもので、名古屋の被害状況がつぶさに理解できる。以下は翻訳の要旨。
●市民と工場に与えた直接損害
 名古屋市に対する爆撃は,1944年(昭和19年) 12月13日、三菱重工業株式会社発動機工場の爆撃に始まり、1945年(昭和20年) 7月24日、愛知航空機株式会社永徳工場の爆撃で終止符をうった。爆撃回数は全部で21回におよび、投下爆弾の量は、14,054トンにもおよんだ。そして、そのうちの71%は、地域爆撃に投下されたものである。(13p)
●市民の直接被害概況
 目標爆撃および地域爆撃を合せた被害は、住宅では被爆前の住宅14万3,600戸の約47%に当る6万7,311戸の全壊または半壊で、死傷者数と被災者数は合計53万7,452人で、被爆前の人口123万人の約44%に当り、そのほとんどが被災者で占められている。(19p)
●医療施設の被害
 たびたびの焼夷弾攻撃により、病院や診療所などの大部分が焼失した。これにともない、病院などにいた医師たちは田舎へ疎開した。したがって残存していた市民は、なんら治療もうけることのできない、みじめな状態に追込まれたのである。(35p)       

       1940年末   終戦時
 病院数      63      36
 ベッド数   4172床  1413床
 医師の数   2134人  1090人