シュールの効用

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102 コルテス流戦法

 アステカ帝国を征服したコルテス(1485-1547)は、1511年にベラスケス率いるキューバ征服に参加し、戦いに勝った。1519年、コルテスは500人の兵を従え、キューバから船でメキシコ湾岸沿いに進み、原住民との戦いに勝利する。
 さらにメキシコ高原に到達すると、アステカ国の宿敵であるトラスカラ国と戦って勝利し、同盟軍に加えてアステカへと向かった。10月16日アステカ帝国の衛星都市チョルーラに到着。チョルーラの指導者は彼らを歓迎したが、スペイン兵たちは無抵抗の住民を殺戮し、3000人以上が犠牲になった。
 しかしアステカ帝国が思いのほか強いので、コルテスは再征服の軍備を整えた。1521年の始め、5万余のスペイン兵連合軍がアステカに侵入し、4月28日には首都テノチティトランを包囲した。3カ月以上の攻防の末テノチティトランは陥落し、新王のクアウテモックは捕らえられた。1525年2月26日クアウテモックは絞首刑となり、アステカは滅亡し、メキシコはスペインに併合された。

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フェリックス・パーラ作「チョルーラの虐殺」(1877年)