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184 稀有書 60 日本でのピストル自殺

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近世自殺者列伝 (国会図書館蔵書)

 宮本外骨「近世自殺者列伝」(1931)という本がある。この書は明治元年から昭和6年までの間に自殺した何万という事例から、およそ60人ほどの略伝を、当時の新聞記事によって列記したものである。宮武外骨(1867 - 1955)は、明治期の世相風俗研究家、新聞記者、編集者で、『明治密偵史』(1926)など多数の著作がある。以下は「近世自殺者列伝」から7件のピストル自殺の例を年代順にあげた。


●7件のピストル自殺
(1) 明治25年4月7日 内国通運会社長 佐々木荘助(59)
 陸運元会社の祖である社長の自殺で、諸新聞で報道される。ピストルで喉を撃ったが、急所を外れ翌日死去。動機は会社の衰運に欠損を隠し、株主に発見され、帳簿検査を迫られたためとある。
(2) 明治28年4月12日 劇作家 藤野湖泊(25)
 卒業後当時の『早稲田文学』誌上に戯曲「人柱築島由来」、「戦争」の二篇を発表、世間に認められた。常時青年間で厭世思想が流行したが、彼は普通の厭世観の如く、単なる感情や思想の行詰りから来たものではなく、哲学的虚無主義に基礎を置いたものである。その最後は、ピストルで喉を貫くという死に方は当時としては非常に珍らしかった。
(3) 明治42年7月11日 農学博士 酒匂常明(49)
 日糖事件の裁判が起り、彼は文書偽造行使罪、委托金費消罪として公判に附せられた。その予審終結書が来た当日、自殺して天下に謝し、あわせて生恥をさらす苦痛を免れたいと、自邸の車夫部屋に入りピストルの弾丸を頭に打込んで死んだ。
(4) 大正5年10月27日 実業家 岩本栄之助(39)
 大阪公会堂の建設基金として百万円を市に寄附したが、間もなく事業に失敗して破産。倒底再興の望み無いことを悟ってピストル自殺を遂げる。短銃は陸軍将校時代に入手したもの。
(5) 大正7年8月7日 カナダ丸船長 山本芳夫(不詳)
 大阪商船北米航路汽船カナダ丸船長、同舶がシアトルへの航行中、タコマ沖合に於て暗礁に乗上げ、救助舶に援助されて危く沈没を免れたが、その責任感から早暁甲板上に出てピストルを以て咽喉を貫き、更に身を海中に投じて職に殉じた。
(6) 大正11年5月3日 陸軍中将 竹内正策(72)
 高知県の人、明治41年休職後は静岡市に住して同地の青年団等に尽力していたが、肺炎を悲観した結果、六連発のピストルを口にあて最後を遂げた。
(7) 昭和4年11月30日 佐分利貞男(48)
 東京帝国大学仏法科を卒業。後外交官として大いに活躍、昭和4年8月支那公使に任命され赴任、外務省と諸事打合せ中、箱根の富士屋ホテルの一室に於てピストル自殺を遂げた。原因は不明だが、死亡した夫人のあとを追ったのではないかと言われている。
 出典 宮本外骨「近世自殺者列伝」(昭和6年)近藤印刷所