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127 稀有書3 H.G.ウェルズ著『影のロシア』

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H.G.ウェルズ著『影のロシア』1920

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作者のH.G.ウェルズ

  『影のロシア』(Russia in the Shadows)は、1921年に出版されたHGウェルズ(1866-1946)の革命後のロシア訪問記で、彼の2回目のロシア訪問(前回1914年)となる。ウェルズはこの訪問で、サンデーエクスプレス社から1000ポンドが支払われた。彼はロシアにおいて、レーニンとの会見を手配したマキシム・ゴーキーを訪問している。以下は本文の冒頭と、作者がレーニンにあったときの感想を述べた部分である。

●始まり
 私は1914年1月に、ペテルブルグとモスクワを数週間訪問した。1920年9月、私はロンドンのロシア貿易代表団のカメネフ氏からこの訪問を繰り返すように頼まれた。 私はこの申し出に飛びつき、9月末に少しロシア語ができる息子と一緒にロシアに出向いた。私たちは2週間と1日をロシアで過ごし、ほとんどの時間をペテルブルグ で過ごした。そこでは、私たちは自由に歩き回り、見たいと思ったすべてを見ることができた。さらにモスクワを訪問し、レーニン氏と長い会話をした。ペテルブルグでは、外国人観光客が通常訪れるホテル・インターナショナルには宿泊しなかったが、旧友のマキシム・ゴーキー(1868-1936)とともに泊まった。(1章「崩壊したペテルブルグ」 )

●レーニンとの出会いと反発
 ペテルブルグからモスクワに行った主な目的は、レーニンと会って話をすることだった。彼に会うことに非常に興味があり、彼に敵対する気になりだした。私が会う人物は、思っていたものとはまったく異なる性格だった。  
 レーニンは作家ではなく、彼が出版した作品は彼を表現していない。彼の名前でモスクワから発行された声高な小さな冊子と論文は、西洋の「労働心理学」の誤解に満ちており、それが予告されたマルクス主義社会革命であるという不可能な提案を執拗に擁護している。
 これは現にロシアで起こったが、私が遭遇したレーニンの本当の精神は何ら示していない。時折、インスピレーションを得た鋭敏さの輝きが見られるが、それ以外の場合、これらの出版物は、マルクス主義理論の設定されたアイデアとフレーズを反復するだけである。それが必要なのだろう。それは共産主義が理解する唯一の言語かもしれない。新しい言い回しは邪魔で意気消沈するのだろう。左派共産主義は、今日のロシアのバックボーンである。不幸にもそれは柔軟な関節のない背骨であり、最大限の困難でのみ曲げることができ、お世辞と服従によって曲げなければならない背骨なのだ。(6章「クレムリンの夢想家」123p)