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177 稀有書  53 古代ギリシャのホモ文化

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出典 ホモホビア辞典(2008)

 同性愛に対する嫌悪や宗教的あるいは職業的禁止の状況はいまだに各国に残っている。「ホモホビア辞典」は、ゲイやレスビアンの禁止や取締を歴史や国籍を拡大して取り扱った辞典である。従って、日本や中国などの文化的状況を知ることが出来る。ここでは、ホモが許されていた古代ギリシャの社会的背景を次のように記述している。
●古代ギリシャのホモ
紀元前 8 世紀から西暦 2 世紀のローマ帝国時代まで、ギリシャ語には同性愛や異性愛を意味する重要な用語はなかった。古代ギリシャでは、人は同性愛者だから嫌悪するということはなく、古代特有の道徳および社会的規則に従っているかどうかで評価された。
 ギリシア社会は、男性と女性、金持ちと貧民、市民と奴隷というふうに、極端な階層分離で構成されていた。性的関係も不平等で、一方は他方よりも強力で、個性の表現の余地はなかった。
 ギリシアの男性は強力で、ギリシャの女性は無力だったので、「同性愛嫌悪」は、女性同士よりも男性の同性愛者に対して表現された。古代ギリシャでは、男性同士の性交はしばしば「少年愛」の形で行われ、成熟した男性が若い男性、通常は12歳から18歳までの男性と関係するルールが守られていた。欲望の若い対象 (エロメノス) は、年上の恋人 (エラステ) に仕えなければならなかった。物理的には、エロメノスの太ももの間にペニスを挿入することは、エラステにとって非常に立派であると考えられていた。社会はエラステによるエロメノスの誘惑を奨励したが、その逆はなかった。
 そうした関係は短く、排他的ではなかった。成人男性は、エロメノスの役割を果たした後でも、まだ結婚することが出来た。若者はさまざまなパートナーと、能動的または受動的にあらゆる種類の性的行動に従事することが許された。しかし、その若者が成人になっても受動的な役割を続けると彼は笑われた。

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イタリア、パエストゥムの墓のフレスコ画、前470 年頃

●市民の条件
 結婚を犠牲にして、成人期にまで及ぶ同性愛関係の人に対する否定的な理由は何か? それはギリシャ社会での結婚の重要性で、土地の寄贈は結婚によってのみ許された。古代アテネでは土地を所有することで、人はさらにギリシャ市民になった。
 古代ギリシャでの「同性愛嫌悪」は、男性同士の関係それ自体を否定するものでなく、ギリシャ社会の行動規則に従うことを拒否することを罰する意識であった。人間の種の保存と土地を持つことが完全な市民になる条件であったためである。
 一方、女性同士の関係は、男性同士の関係に比べてほとんど考慮されなかった。ほとんどの場合、古代ギリシャの性的慣行の分類は、性的行為が男性の特権であるという信念の中で、女性間の関係を単に除外したと考えられる。(出典 THE DICTIONARY OF HOMOPHOBIA, Edited by LOUIS-GEORGES TIN, ARSENAL PULP PRESS 2008)