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214 稀有書 90 地獄の鬼

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閻魔王の裁き「中国十八層地獄詳細図解」より

 『源氏物語』を最初に現代日本語に翻訳した吉澤義則著『国語説鈴』に、「地獄の鬼」の話がある。ここで彼が触れているのは、日本の説話の中で登場する鬼は多くが、死んで浮かばれない霊が悪さをするものが多いという(作者はその例をいくつかあげる)。しかし『日本霊異記』に登場する鬼は、いわゆる地獄に住む鬼が登場する。中国の怪奇説話には閻魔(えんま)と鬼の話が多くあるが、その種の話である。
 彼が『日本霊異記』のなかでも、中巻第25「閻羅王の使いの鬼が、召される者からご馳走をよばれ、御に報いた話」をとりあげたのは、やはり話が面白いからであろう。以下はその物語(文章は本文より)
●地獄からの使者
 それは聖武天皇(在位724~749)の御代の出来事である。讃岐国(香川県)山田郡に布敷臣(ぬのしきのおみ)衣女(きぬめ)という者がおった。病気危篤に陥ったので、門の左右に百味の飲食を設けて、疫神に御馳走して助かろうとした。然しそれはすでに手後れであった。鬼は閻魔王の命によって、衣女を迎うぺく門前にやって来た。所が鬼も十万億土から急ぎに急いで駈けつづけた為に、いささか疲労と飢とに悩まされていたものと見える。地獄では見も及ばぬ珍羞佳肴が、ズラリと目の前に列んでいたのであるから、責任ある使命も忘れて食い且つ飲んだ 。そこで使鬼もすっかり、いい気持になってしまって、衣女に言うには「何か恩がえしをしようとおもう、時にお前と同姓同名の者はどこかに無いだらうか」と尋ねた。 
 衣女は同国鵜垂郡に同姓同名の者が有ることを告げた。鬼どもは山田郡の衣女に案内させて、鵜垂郡の衣女の家に往って、合うや否や緋の袋から一尺の鑿(のみ)を取出して第二の衣女の額に打立て有無を云わせず、その場から地獄へ巡れて行ってしまった。
●2人の衣女
 閤魔王は罪人を調ぺて見たところ違っていたので、再び使鬼を派して山田郡の衣女を連行した。真の罪人が来たから、閻魔王は鵜垂郡の衣女を娑婆へ還してやった。所がここに困った事が起った、というのは、第二衣女が家に還り着いたのは死後3日目であった。で自分の遺骸は荼毘に附せられて一片の煙と化し去ってしまっていた。第二衣女は魂の寄る辺が無い旨を閻魔王に訴へ出た。
 閤魔王は少し面喰って山田郡衣女の遺骸の有無を尋ねた、第二衣女が「それは有ります」と答えたので閻魔王は「しからばそれをお前の身体とせよ」と命じた、かくて山田衣女は鵜垂郡の衣女の残骸を籍りて甦ると、「これは自分の家で無い」と言いはった。事情を知らぬ山田衣女の両親は驚いて、これが汝の家なる旨を諭したが、再生者はどうしても聴かないで、ズンズン鵜垂郡の家に往ってしまった。けれども鵜垂郡の家ではまた承知しない。「お前は内の衣女ではありません、内の衣女はとっくに火葬してしまったのです」といって、どうしても衣女の言を信じようとしない。そこで衣女も除儀なぐ地獄の秘事を打ちあけた。
 ここに於て両郡の父母も納得して、両家の資財を挙げて一人の衣女に附与した。衣女は四人の親と二家の宝を所有することになったのであるが是は偏に鬼に御馳走した結果である。であるから、およそ物あらばなお賂(まかない)饗(あえ)すべし、これまた奇異なり。と結んである。
 この話を整理すると、第一衣女の魂は冥界に残り、第二衣女は第一衣女の身体に宿って、4人の親の子として遺産を受け継いだ事になる。果たしてご馳走の結果は良かったとは思えないが。良い点があるとすれば、山田郡の家では娘の身体に会えるし、鵜垂郡の家では娘の魂に会えるということか?
 出典 吉澤義則著『国語説鈴』立命館出版(1931)