シュールの効用

シュールの可能性を追求するブログ

187 稀有書 63 満州の日本人

f:id:danbuer:20210615165335j:plain

1. 機関車を整備する学生修理工(大連)

f:id:danbuer:20210615165357j:plain

2. 映画館「朝日座」の前の馬車 (満州の首都新京、現在の長春市)

 現在も発行が続いている『ナショナル・ジオグラフィック・マガジン』(1942年11月号)に、「満州で対峙する日本とロシア」という記事が31頁にわたり掲載されていた。以下はその初めの部分。

●満州で対峙する日本とロシア
 「日本とロシアは1931年から戦争を続けている。宣戦布告なき戦争だが、それは単なる言葉の戦争ではない。その間、日本とソビエトの間で2,000回以上の武力衝突があり、その中には小さな攻撃もあったが、一方では大きな戦闘が行われた。1つは10万人の軍隊が関与し、もう1つは数十機の爆撃機と戦車が参加した。1回の戦闘 (註 ノモンハン)で1万8,000人の日本人が殺害された。
 世界はこれらの問題についてほとんど聞いていない、彼らは黙っていた。日本もソビエトも総力戦の準備ができていなかったからだ。
それは、アメリカの特派員の通信からかなり離れた満州で発生した。
しかし、今後満州はよく知られる運命にある。
日本とソビエトの間の大規模な紛争はほぼ避けられない。ウラジオストクの短剣が、東京から飛行機で3時間以内に構えているロシアは、日本の安全に対する差し迫った脅威である。
 ソビエトが背後にいるため、日本は電気椅子に座す犯罪者のような不安を感じている。この危険が取り除かれるまで、日本は簡単に呼吸し、南太平洋で獲得した戦利品を利用することができないだろう。」(603ページ)。
 資料「ナショナル・ジオグラフィック・マガジン」(1942年11月号 写真も)