シュールの効用

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189 稀有書 65 アンコール・ワットの旅

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四面を梵天に飾られた廃墟塔(『カンボヂャ紀行』より)

 アンコール・ワットは、カンボジア北西部に位置するアンコール遺跡の一つで、そこを代表する寺院。ヒンドゥー教寺院として作られた。しかし16世紀後半に仏教寺院に改修され、現在も上座部仏教寺院となっている。
 1863年にカンボジアがフランスの保護国化になると、アンコールワットに対するフランスの調査が行われるようになり、ルイ・ドラポルトが1873年に「第2次カンボジア遺跡探検隊」として調査を行い、その記録が『カンボジャ紀行』(1880)が発行された。以下はその第7章からの抜粋である。

●まじない
 幾日も、この遺跡、アンコオル・ワットの建物へ行けたことは、われわれにとって何たる欣びであったことか!見る度に、その調和した全体に只々嘆賞するばかりであった。
 このインドシナの仏教の中心の周囲には、今日でもかって盛んなりし宗教生活の息吹がとりまいている。寺院の下には一つの村と多くの僧院があり、寺の守護に任じている僧侶たちが敬虔な勤行をつとめ、多くの巡礼が引きも切らない。われわれの小屋にも亦、 毎日大勢の訪問者があった。ものずきもいたが、大抵はどんな医者、どんな信心でも癒らなかった廃疾者や病人たちであった。空しくあらゆる有り来りの宗教手段を求めつくし、呪禁(まじない)の力さえ悪霊の祟りに利目がなかった連中である。
●阿片中毒者
 絶望した揚句、必ず出来るだけのことはしてやる、いわゆる彼らのフランス人医師の救いを乞いにやってくる。病人は、先づお定りの供物である小さい紙ローソクを持って来た。そして少しでも手当が巧く行くと、その財産に応じて、卵、果物、蜂蜜、鶏などを持って再びやって来た。不治の病人のなかには、物凄い顔付の、どんより凹んだ眼をし、幽霊のやうに足どりがふらふらしたのがいた。一見して阿片常用者であるととが容易に解った。
 私は中支那の賑やかな町々を通った時、何回となくとこの嗜好の哀れな犠牲者たちがフランス人医師の周りにうごめき、力と健康を取戻してくれと脆き頼むのを見たものだった! しかし、支那でもカンボヂャでも彼らについては施す術がなかった。阿片売買を絶対に禁止することが、この禍いを克服し得る唯一無比の治療法である。(187p)
 出典 ドラポルト著『カンボヂャ紀行』青磁社(1944)