(70)ダイムノーベルの飛行機(pluck and luck)
●ジャック・ライトは、アメリカのジュール・ヴェルヌと言われたルイス・セナレンスが書いたSFのダイムノベルの人気シリーズのヒーロー。ジャックは1891年から1896年までに120の小説のオリジナルストーリーに登場した。彼は、1891年7月の少年スターライブラリー「少年発明家ジャックライト、または沈没船のお宝ハンター」に初めて登場した。これらの物語は、後にダイムノベルの「Pluck and Luck」に転載された。
(69)ダイムノーベルの鉄道
「Pluck and Luck(度胸と運」は、フランク・タウジーが最初に出版したアメリカのダイムノベルであり、最も長く続いたダイムノベルでした。1898年1月から1929年3月まで1605号が発行された。32ページの雑誌は、最初の22号は半月刊で、その後は週刊。主に消防士、鉄道、米独立戦争、南北戦争、西部開拓、金融と成功、節制、サーカス、空想科学小説、旅行と探検などのテーマを特集した。 主なシリーズはジャック・ライトである。
(68)奇妙な動物園
この好奇心あふれた動物園はロンドンの中心部ストランドの建物の2階にあったもので、図はロンドンの風刺画家トマス・ローランドソン(1756 – 1827)が1816年に描いた。イギリスでは1828年にロンドン動物園が開設されたので、ここはそれよりも早くからあったようだ。
(67) マスター・アパートメンツ
ニューヨーク市マンハッタンにある27階建てのアールデコの超高層ビル、マスターアパートメンツは、1920年に画家のニコライ・レーリッヒ(1874-1947)と妻ヘレナ(1879‒1955)によって設立された芸術研究所、マスターインスティテュート・オブ・ユナイテッドアーツのために建てられた。
このマスター(大師)の名前は、アグニヨガの主催者ヘレナ・レーリヒが、メッセージを受けたモリヤ大師、そしてポタラ宮を建設したダライラマ5世(1617 - 1682)の生まれ変わりといわれた神智学者ニコラス・レーリッヒが関係している。レーリッヒに資金提供したのは、金融家ルイス L. ホルヒで、レーリッヒが中央アジアを旅行していたときに、多くの土地を取得した。1928年、ホルヒはマスタービルディング社を設立し、博物館、研究所、超高層ビル計画を手伝った。
1928年1月に提出された高層ビル計画では、尖塔が上にある千鳥状のピラミッド形をした仏舎利塔が上にある24階建てのアパートメントホテルだった。実際に建設されたとき仏舎利塔は破棄され、追加の3階建てになった。
(66) 輪廻の統計学
現在世界の人口は76億人である。これが80年後の2100年には、88億人になるという(英医学雑誌ランセット2020.7.14)。
さて現在生きている人は、80年後にはその大半が亡くなっているだろう。ではもし仏教やヒンズー教の教えにより、人類に輪廻があるとしたら、この人々がどこかの国に生まれ変わっていることになる。(地獄に行ったり、動物に生まれ変わった場合は無視)
では、どこに生まれ変わる可能性があるか。現在、日本を含む先進国では少子化現象を示しており、日本の人口も1億2600万(2017年)から80年後には8500万人まで減少している。従って現在生存している人々でも、やがて日本に生まれたくても生まれることができない時代に入ることになる。従って輪廻を信じる人は、将来来世でどこの国に生まれてもよいように、心の準備が必要となるかも知れない。
画像資料1,2とも
http://www.ifairer.com/articles/how-karma-and-reincarnation-works-in-hinduism-3-12178-IFR.html
(65)フリーメーソン・ロッジの歴史
1717年イギリスにグランドロッジが設立された後、フリーメーソンの会員が、世界中の国々を訪れた。ここにある年代は、初期に作られた世界のロッジの場所。欧米の世界飛躍の一助に貢献か?
(資料 雑誌「メーソンオブカリフォルニア」2017年5、6月号)
●ヨーロッパ
1634年(イギリス)エジンバラ 1717年(イギリス)ロンドン
1728年(スペイン)マドリッド 1729年(イタリア)フィレンツェ
1737年(ドイツ)ハンブルク 1741年(チェコ)プラハ
1742年(オーストリア)ウィーン 1752年(スウェーデン)ストックホルム
1756年(フィンランド)トゥルク 1771年(ロシア)サンクトペテルブルク
●北米
1732年(ペンシルベニア州)フィラデルフィア 1733年(マサチューセッツ州)ボストン
1735年(サウスカロライナ州)チャールストン 1738年(カナダ)ノバスコシア
1757年(ニューヨーク州)ニューヨーク 1804年(キューバ)ハバナ
1806年(メキシコ)メキシコシティ 1836年(テキサス州)ヒューストン
1847年(カナダ)トロント 1848年(カリフォルニア州)サンフランシスコ
●アジア
1729年(インド)カルカッタ 1767年(中国)広州
1856年(フィリピン)カビテ 1862年(日本)横浜市山下町
1907年(韓国)ソウル 1912年(フィリピン)マニラ
(64)北京飯店の支配者
首都北京市の紫禁城の東に位置する高級ホテルで、現在も北京市を代表する高級ホテルのひとつである。1900年に2人のフランス人が開業した。1907年中仏実業銀行が買収し、5階建ての煉瓦造りの建物が建てられ、1915年に近代的ヨーロッパ風ホテルとして提供された。その後1917年に7階建ての新館(現B棟)が追加された。
日中戦争勃発後の1937年に日本軍の管理下に置かれ、1945年8月に中国国民党の管理下に置かれた。
1949年に中華人民共和国が建国された後は、中国共産党政府所有のホテルとなり、様々な記念日のレセプションパーティーが行われた。そして1954年と1974年には新たな建物が順次追加された。