(63) テュイルリー宮殿陥落
テュイルリー宮殿はセーヌ川の右岸のルーヴル宮殿とコンコルド広場の間にあった。1564年に建造され、ルイ14世が完成させた。ヴェルサイユ宮殿が作られてからは放置されていた。
1789年、パリ市民によるヴェルサイユ行進で、ルイ16世とマリ=アントワネットがパリに連れ戻されて、テュイルリー宮殿に入り、それ以後の国王の住居となった。1793年、パリに集結した義勇兵と、サンキュロットがテュイルリー宮殿を襲撃する「8月10日事件」が起きた。市民軍とスイス人傭兵と市街戦で宮殿は陥落し、国王一家はタンプル塔に監禁される。
(62) ルイ16世の死
ルイ15世の孫のルイ16世(1754〜1793)は、20歳で即位。1770年にマリ=アントワネットと結婚。1791年6月21日、妻と国外逃亡を企てて失敗し、国民の信頼を失い王権が停止される。
1793年1月、各議員による国王裁判が行われ、全員一致で有罪となり、1月18日に死刑が確定した。5日後の1月21日午前10時過ぎ、彼は2万人の群集が集まる革命広場(現コンコルド広場)でギロチンにかけられた。現在ルイ16世は、歴代のフランス国王を納めるサン=ドニ大聖堂に、マリー・アントワネットと共に眠っている。
(61)床を突き破る十一面観音
大仏寺としても知られる「独楽寺」は、中国天津市薊州(けいしゅう)区にあり、中国に残っている遼代に皇族が保護した三大寺院(奉国寺、華厳寺)の1つである。寺院の建築は唐代の貞観10年(西暦636年)にさかのぼる。 寺院内で最も古い2つの建物、山門と観音閣は984 年に再建された。観音閣には十一面観音の立像が納められており、その高さは15m以上。なお十一面観音の功徳は、十の現世利益、四の来世果報があるとされる。
(60) ノルマンディ・アパートメント
上海の商業街、淮海中路(わいかいちゅうろ)にある「武康大楼(ウーカンダロウ)」は、もとの名は「诺曼底公寓」(ノルマンディ・アパートメント)と呼ばれ、1924年フランス国際貯蓄協会が建てたベランダ・スタイルのアパートです。フランスのルネッサンス様式のアパートで、有名な建築家Hudec(1893-1958) の初期の作品。930平方メートルの面積をカバーしている。 8階建ての強化コンクリート構造は、わずかにフランスのルネッサンスの外観をしています。1945年に建物は国民党に引き継がれ、多くの重要な役人が住んでいた。 解放後の1953年に「武康ビル」と改称。 (資料「上海徐汇」2018.5.29)
(59)魂呼び
魂呼(たまよ)びの儀式は、中国の古代から伝わる、死者の召喚儀礼です。
魂の召喚士に扮した男が、死者の着物を持って家の屋根に登っていく。屋上で死者の衣服を振り、死者の魂に「戻ってきて!」と呼びかけます。 そして再び呼びかけます。 彼は3回目の試みの前に一旦間を置きます。 「戻ってきて!」
このあと彼は死者の着物を下に居る人に手渡し、その人は着物を籠に入れて喪場に運びます。こうして魂が戻ってこない事を確認するのです。
イラスト出典 (Christine Liu-Perkins 著 At Home in Her Tomb 2014)
(58) 天使に守られるイエス
フランスの画家ジェームズ・ティソ(1836- 1902)の2枚の絵。ティソはフランス西部ナントに生まれ、パリで絵を学び、1859年初入選する。イギリスのロンドンで10年ほど滞在し多くの絵を描く。パリに戻って風俗画『パリの女』で流行画家となる。1885年、サン・シュルピス聖堂でキリストの幻影を視た後、宗教画へ向う。パレスチナに10年ほど滞在。フランスの修道院で聖書の挿絵に取り組む。1902年死去。
(57)歌川国長のピラミッド
これは浮世絵師、歌川国長の描いたピラミッドで、1820年から25年頃のもの。国長は歌川豊国の門人で、生没年は不詳である。
絵の題材はオランダ文化の影響か?手前は縦長のピラミッド、その頂上は雲の中に隠れ、3人のオランダ人がその足下に立っており、遠景の2つの小さなピラミッド型の塔の頂上で旗が泳いでいる。
この作品の外国の所有者は、1935年発行の「ピラミッドの歴史と意味」の著者バジル・スチュアートで、彼はその本の挿絵に用いた。