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162 稀有書  38 延命院女犯事件

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田中香涯著『猟奇医話』不二屋書房(1935年)国会図書館より。

  本書は、「徳川家光の神経病」、「ドイツの医学者ケムペルの将軍謁見」など、江戸時代の医学に関係する一風変わった実話をまとめたもの。以下はその中の一話で「延命院女犯事件」。
●延命院女犯事件
 江戸時代、延命院の女犯事件を内偵し、寺社奉行に諜報して、延命院の住職日潤を処刑させた女探偵の実話。事件が起きたのは、谷中にある法華寺の延命院で、災難除けの大明神として崇められ、参拝する貴賤男女は終日絶えることがなかった。日潤がこの延命院の住持となったのは寛政8(1796) 年3月、32歳の時で、彼は水の滴るような美貌の持主であったという。
 8年後の享和3(1803)年の7月、彼は40歳で死罪に処せられた。この間に彼の犯した御殿女中の数だけでも59人といわれている。男禁制の非自然な生活をすごす大奥の女中は、加持祈祷を口実に延命院に出入して日潤と関係を結んだのである。
 奥女中の数は決してそれ以上に夥しかったので、日潤一人ではとても多くの女中の相手になることが出来ないので、堺町、木挽町の歌舞伎役者を動員して女中の飢渇に満足を与えた。日潤やこれら等の俳優は、延命院内に特別に建てた秘寝室に於て、不倫の歓楽に耽ったのである。しかしこの秘密の場所には、秘密の出入り口があってなかなか証拠が集められなかった。
●事件解決
 江戸幕府は、僧侶の地位を保護すると共に破戒行為を厳重に取締った。女犯僧には住職以上ならば遠島の刑、姦通罪を犯した場合は、獄門の厳刑に処した。寛政8年8月には、悪所からの帰途の破戒僧69人を一時に逮捕したことがある。さて延命院の悪事を暴くために協力したのは、寺社奉行脇坂淡路守の家来の娘であった。彼女の働きによって、淡路守の下した延命院事件の裁断の結果、日潤は死罪。彼と関係した奥女中59人は、5人だけが処分されたが、大奥の風儀を改革することが出来なかったという。(101〜119頁)