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87 ロンドンに立つ日本人留学生の墓

夏目漱石の場合、33歳の年(明治33年)にイギリス留学を命じられ、明治33年10月から明治35年の12月まで、2年あまりロンドンに滞在した。

 それ以前にイギリスに行ったのは浅野長勲(ながこと1842-1937)の実の弟で養子の浅野長道(ながより1865-1886、妻は加賀金沢藩主前田斉泰の娘)は、明治19年(1886年)、単身留学先のロンドンで自殺した。21歳だった。

 現地の新聞記事によると、「場所はケンジントンのハイストリートにあるクラウンホテル。死因は拳銃自殺で、料理人のマリア・スミスは、故人が宿泊したサウスケンジントンのフィルビーチガーデンズ21番地に住んでいたと証言した。金曜日の朝、目撃者が彼の寝室に入り、そこで彼はベッドにいて、頭に傷があり、顔の横にピストルが横たわっていた。故人は意識を失っていたが、4時間生きていた。

外科医のJ.A. Owles氏は、死者は銃創で死亡したと述べた。銃創は目撃者の意見では自傷行為であった。陪審員は「心の不調な自殺」の評決を下した。すでに防腐処理された遺体は、一時的に霊安室に入れられ、その後日本に運ばれます。」とあるが、同地のブロンプトン墓地に埋葬された。(写真参考)

1月2日付の新聞で金曜とあるのは、1986年12月31日の金曜のことか?

資料(Reynolds Weekly(レイノルズウィークリー)1887年1月2日

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ブロンプトン墓地にあるAsano Nagayoriの墓
(写真London dead, 2014.7.16)