シュールの効用

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85 「バーガルプルの聖なる丘」

絵は当時インドに滞在していたチャールズ・ドイリー卿(1781–1845)が、1820年8月から10月まで、バーギーラティー川とガンジス川に沿ったの旅行中に描いたもの。この旅は、パトナでの阿片の代理人としての彼の新しい任務を引き受けることだったに違いないという。

チャールズ・ドイリーは、1781年9月17日にインドのマーシダバードで生まれた。父はジョン・ハドリー・ドイリー卿で、マーシダバードの東インド会社の駐在事務官だった。チャールズは1785年にイギリスに行って教育を受け、1798年にカルカッタの控訴裁判所の登録官の助手としてインドに戻った。1803年に彼は総督の事務所で「記録の番人」として任命された。1818年に父親の死後、準男爵を継承し、1808年にダッカの徴税官に任命された。その後、1808年から1817年までダッカの徴税の役職を歴任。ビハール州のアヘン代理店およびパトナの商業居住者(1821-1831)を経て1838年に引退した。

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「バーガルプルの聖なる丘」(1820)

チャールズ・ドイリー卿による水彩画(図版 British Library)