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216 稀有書 92 弥勒(マイトレーヤ)の経典

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弥勒菩薩像(ガンダーラ3世紀 Metropolitan Museum of Art)

 「弥勒(みろく)菩薩は一般に兜率天(とそつてん)に住する当来仏と信じられているが、彼が作者とされる経典に「瑜伽師地論(ゆがしじろん)」がある。この経典は、玄奘が最も読みたい経典といわれ、彼がそのためにインド迄取りに行ったものであり、玄奘自らがこれを完訳している。
 この経典を語ったのが弥勒菩薩であるとする伝説は、「後世に創造された神話で、決して歴史たるものでなく、その学説又は学派の起原を、神秘的に天上に押上げたことになるに外ならぬ」このように仏教学者宇井伯寿(1882-1963)は「印度哲学史」のなかで述べている。以下は宇井が伝説が普及して行く過程を述べている。
●弥勒菩薩と弥勒
 史的研究からは、どうしても弥勒菩薩と弥勒とを区別せねばならぬ。無着(310-390?)自身も弥勒から「瑜伽師地論」を聴いたといい、その弟で弟子の世親も、無着が弥勒から教えを受けたことをいうが、無着が兜率天に上ったとか、弥勒菩薩が降下したとかについては言及していない。作者の弥勒を史的人物と見れば、大体270~350年頃の人である。
●伝説のはじまり
 無着が上天して教えを受けたとか、菩薩が降下して教えたとか言うようになったのは、早くとも西暦450年頃から。これは弥勒の名と同じ弥勒論師への尊祟により、当来仏と同一視され、神話化されるに至ったとしている。(同書336p)
●ガンダーラの弥勒仏
 ガンダーラの仏教美術では、釈迦牟尼の仏と菩薩、それに弥勒菩薩が礼拝の対象として彫刻された。これらの図像は、すでに盛期クシャーン (150- 250年)のあいだに成立していた。この時期にクシャーン の支配を受けたインドのマトゥラーでも、ブッダの像があり、過去七仏、弥勒の列像があらわされている(1) とあるから、2世紀中頃迄に弥勒崇拝は始まっていたことがわかる。こうして崇拝の対象である弥勒菩薩と学者の弥勒が同名であったために、その著作も神格化されて菩薩の教えという経緯に至ったのであろう。
資料 1.宇井伯寿「印度哲学史」岩波書店 1932年
   2.小谷仲男「ガンダーラ仏教美術の展開」1967