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164 稀有書  40 大量破壊兵器情報の陰謀

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アフマド・チャラビ(2004 ニューヨークタイムズより)

 アメリカのイラク侵攻は、イラクが大量破壊兵器を保管していることがその大きな要因であった。そしてその情報が、どこから出ているかが情報の真贋と決め手となる。ジョエル・レヴィ『世界陰謀史事典』には、その情報が陰謀であったと記している。以下はその要約。

●イラン諜報部の陰謀
 米国務省やCIA に近い情報筋によると、アメリカがイラク戦争に突入したのは、イランの諜報部のトリックにひっかかったためかもしれないという。国務省の上級テロ対策担当官だったラリー・ジョンソンによると、これは「史上最も巧妙な諜報活動の一つ」だそうだ。
「イランは(偽の情報で)米英両国を説き伏せ、自らの最大の敵であるイラクの処分に当たらせた」と言っている。
●詐欺師チヤラビー
 このストーリーの主役は、イラク国民会議(INC) の議長アフマド・チャラビ(1944– 2015)である。イラク国民会議は、フセイン後に権力を手にした反フセイン派のイラク人亡命者のグループで、チャラビは米ブッシュ政権の政策立案者たちとコネを持っていた。
 アメリカはイラク戦争の正当性を主張するのに、フセイン政権からの亡命者やチャラビの情報が必要だった。チャラビが米諜報部と係り合ったのは第一次湾岸戦争時で、当時彼はヨルダンのペトラ銀行の頭取として、首都アンマンのCIA当局者と密接なつき合いをし、イラクの情報を彼らに提供していた。
●目が眩んだラムズフェルド
 CIAはアメリカ政府の諜報任務を管理していたが、CIAの作戦は慎重すぎた。そこでラムズフェルド国防長官(1932ー)は、新保守主義者たちの目的を支援する証拠を収集するため特殊作戦室(OSP) を立ち上げた。OSPが必要とする資料の多くは、チャラビとその手先のアラス・ハビブから入手した。チャラビは、フセイン政権からの亡命者を見つけ、彼らからタカ派連中の欲しがる情報を聞き出した。例えば、イラクがWMDの開発を進めており、一定の範囲まで実用化に成功した、などという情報である。
 2003年3月20日、アメリカを主体としたイラク侵攻が始まった。軍事的成功の後、国内に入ったアメリカ軍は、大量破壊兵器の捜索を行った。しかし捜索の結果、新たな大量破壊兵器は発見されず、2004年9月13日にパウエル国務長官は捜索断念を明らかにした。その後チャラビは、イラン諜報部のスパイだったとして、アメリカのタカ派連中が欲しがる情報のほとんどは誤りであることが判明した罪で告発された。
資料 ジョエル・レヴィ『世界陰謀史事典』柏書房(2008)