154 稀有書 30 死の予知
櫻井 秀「日本風俗史概説」十二章 老年期の生活の六に「死の予知」がある。
これをみると、同じ日本人とはいえ、我々現代人とは異なる死生観があったことを知ることができる。以下はその趣旨のまとめである。
●死の予知
高年者のすべてではないが、年老いた者とか篤信(とくしん)者の中に、臨終の時期を予知するものがいた( 少なくも古人はそれを信じて疑はなかった。) もちろん、それには事実の伴なわぬことがあったが、前代の病者や家庭の子女等にとって、重大な関わりを持つものであった。
病人は神仏に祈って死期を知ろうとしたこともあるし、様々な方法で生死を判断しようとしたことも小なくない。『栄花物語』に
むまの入道は、中堂(延暦寺)に14日間こもって「ただ生死を告げさせ給え」と願った所、夢にみたので、無動寺(延暦寺東塔無動寺谷)に行って仏がお告げを下さる。うれしきこと也。
これなども神仏に頼る例である。流星の色や長さとか、算数の法などでそれを判断することもあった。
●死期の確定
毎夜北斗七星を觀察し、その人の属星の色によって生死を定める法もあつた。
「その色黄の者は死なず、青の者は十人死ぬが一人は生く、黒の者は万人の死に一人が生、白は即ち生、赤は万生一死」(『覚禅抄』尊星王法)とある。
死期の確定したものは、またいろんな方法で延命を祈ったのである。不動明王は「六月延命ができる」と考えられた。從って明王の加護を念じた人たちは頗る多かったと考える。
●臨終の魔障
死期に近づいた者にとって最も忌避すべきものは、臨終の魔障であり、妖魔は種々な手段で病床の人を誘惑すると考えられていた。そしてそれは、仏菩薩来迎の相を現わすことまであった(『渓嵐拾葉集』巻二)。そのため魔仏を観破する知識も与えられていたが、一般人がそれで魔障を避けることは出來なかった。從って危篤病者のために、医者の外に必ず高徳有験の僧が招請される例であった。蓮仁聖人の逸事にこんな話が伝えられている。
吉田斎宮の御臨終に立会うと、すでに意識はなくなっていた。女房等は、多年のご本懐をとげられ、安心でございますといって去りしところ、聖人が「慈救呪」を唱えると、宮は突然蘇生し、「あら寝たや、奉具について往こうと思っていたのに」とおっしゃり、又小時念仏を唱えて眠れるごとく気絶し給った。上人これを見て「これこそ実のご終焉」云ったという。
魔の來迎を信じて未来を誤るところの貴女を救った物語である。「奉具について往こう」とあるのは、妖魔の来迎を仏菩薩と信じたからのことである。加持によって復活の機会を得られなかったら、永く魔界に誘い去られたところであった..
出典「日本風俗史概説」櫻井 秀 (明治書院)1950