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152 稀有書 28 スターリン時代

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ウォルター・クリヴィツキー(1899 - 1941)

書名 クリヴィツキー著、根岸隆夫訳『スターリン時代―元ソヴィエト諜報機関長の記録』みすず書房 (1962)
(英訳版)Krivitsky, Walter G. In Stalin's Secret Service HARPER & BROTHERS PUBLISHERS(1939)

 

■前書きの一行目で、この本の内容がつかめる。
 1937年5月22日の晩、わたしは、駐西欧ソヴィエト諜報機関長として、ハーグの自分の部署に戻るために、モスクワで列車に乗った。その時、わたしは、スターリンがロシアの主人であるかぎり、これがロシアの見納めだという実感をほとんど抱かなかった。
 20年近くにわたって、わたしは、ソヴィエト政府に奉仕した。20年近くにわたって、わたしはボリシェヴィキだった。列車がフィンランド国境に向って驀進していた時、わたしは、車室にひとり座って、そのほとんど全部が逮捕されたり、射殺されたり、強制収容所に送られたりしたわたしの同僚たち、同志たち、友人たちの運命に思いをめぐらしていた。かれらは、その全生活を、よりよい世界を建設するために捧げ、そして敵の弾によってではなく、スターリンが欲したために、部署についたまま死んでいった。(3p、根岸隆夫訳)

■第8章 スターリンの決別
 スパイ狩りが、全国を吹きまくっていた。スターリンによれば、裏切者を捜しだすのはソヴィエト市民各自の第一の義務だった。 「人民の敵、トロツキスト、ゲシュタポの手先」が至るところに潜伏し、あらゆる分野に浸透していると密告したのは、スターリンなのだった。エジョフのテロ機関は、スターリンの警戒心の喚起を次のように説明した。 「諸君が、生者の間に留まりたいならば、互いに告発し合え、互いに密告し合え。」  スパイ行為熱に浮かされて、人々は、友人や、もっとも近い身内まで、告発するようになった。人々は、恐怖に気がふれて、スパイ狩りにとりつかれ、自分自身を救うために、犠牲者を、競ってオゲペウ(1)に捧げた。  粛清を担当する特別部の責任者がわたしに明らかにした公式数字に従えば、最初の5ヵ月が経たぬうちにオゲペウは、35万の政治的逮捕をおこなった。囚人には、元帥やソヴィエト創建者から、下級の党職員までいた。(8章161p)
●訳者解説の「結び」にみる、まとめ
クリヴィツキーは40年の短い生涯を狂乱怒濤の歴史の舞台裏で送った。悲憤と侮恨と恐怖をにじませて遺したこの回想録ただ一冊が、革命と労農ソヴィエト国家の防衛の美名のもとに犯された集団愚行、蛮行を後世に伝えている。(…)クリヴィツキーの回想録は、不幸なことに今なお些かも意義を失ってはいないのである。(231p)
註(1)組織名の変遷チェーカー(1917-22)、GPU(ゲーペーウー1922-23)、OGPU(オゲペウ1923-34)、NKVD(1934-41)以下略。