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136 稀有書12 火事で焼けた「支那民族誌」

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支那民族誌 第六巻(扉)

●焼失した原稿
「この書は、3年間に11冊を刊行する予定を立て、第1冊(第3回配本)として第6巻「児童篇上巻」を印刷することとし、第2冊目の7巻目を外務省に持込んだのであったが、1月9日の同省の火災でこの原稿と共に、今後の10巻分の原稿も、悉く烏有に帰したのである。(…)この度の火災では、未刊10巻分の原稿約3万数千枚を失った外に、将来に於ける刊行目論見の原稿約5万枚、合計約8万5千枚と共に、多年蒐集した絵画写真、並びに多数の参考書籍等の全部を失った。しかし本書は、もとより現地調査の材料を主として編むものであるから、再度調査することは甚だ困難で、続巻のことも計り難く、一応本巻を以て打切としなければならない」(例言)とあるように「支那民族誌」は3巻だけの出版となった。以下の記事は、第6巻「児童篇」の最後の章である「纏足」の引用である。
●纏足の現状
 この度の支那事変が起る前年の正月に、北京で発行する支那新聞は、北京市政府が纏足の禁止命令を発し、犯す者は処罰するとて、それに対する罰則までも公示していた位であった(…)1932年下半期から1933年上半期までの一ヶ年間に於て、山西省の人口統計を行った際に、 同省内に於ける纏足者をも調査した統計が、同省から発表されているのであるが、この地方は支那に於いて、最も纏足の風習の盛んに行われていた地方ではあるが、その統計によると、15歳以下の幼女に、32万3064人、16歳以上30歳以下の者に、62万5625人の纏足者が現存していたことが知られたということである。そうして見ると同省では、30歳以下のものに当時依然として約百万人近い纏足者があったということになるのである。出典(永尾龍造著『支那民族誌 第六巻』第3章第一節「纏足の現状」支那民族誌刊行会1942年)